「自分が聖人君子でないことを、いい加減認めようというのが、僕の誓いです。」
大学部卒業を間近に控えた3年生のA君が書いた、日記の1フレーズです。
——A君の日記全文——
「誓い」
卒業が近づいています。
翔和学園に入り、僕はキラキラと輝くような経験を沢山しました。
多くのことを学びました。
正しくあろうとすること。
人とのつながり。
生きるということ。
そして自分自身を知りました。
三年間やってきて、少しはマシな人間になれたとは思いますが、日々、自分の足りなさを痛感しています。その度に、苦しい思いも痛い思いもするのです。
僕にとって一番難しいことはというと、自分自身として生きることなのです。
いつも自分を殺し、隠して表面だけ飾る僕は、やはり周りの人にとって受け入れられないものではないのか。そんな風にも思いますが、翔和で出会った人たちは、それでも僕に笑顔を向けるのです。僕はその思いに応えられてはいません。
僕はもらったものを人に返せる人間になりたいのです。
そして学んだ正しさを、貫ける人間になりたいのです。
そのためになにが必要なのか、僕の思うところは、自分自身を許すことだと考えています。
自分を縛りつけて、常に自分の自由を制限し感情までも否定するその様は、自分への虐待だと言えるでしょう。
誰しも完全ではないし、僕は足りないところが沢山ありますが、自分を許すだけで可能性は広がると考えています。
自分を許すことの中には、上手くできないことを受け入れるという意味もあります。
自分が聖人君子でないことを、いい加減認めようというのが、僕の誓いです。